lifepsychology’s diary

30代のおっさんが生きていく中で感じていることをただ書く

ペスキタリアンという食生活

ベジタリアン』という言葉は聞いたことがあると思いますが、

このベジタリアンにも種類があることはご存知ですか?

僕はペスキタリアンという分類の食生活を確か23歳の頃から27~9歳頃まで続けていました。

 

ベジタリアンの小ネタを少し。

 

動物質の物を一切食べない人の事を『ヴィーガン』と言います。

ヴィーガンは割と有名な言葉だと思うので、聞いたこともある方は多いかと思います。

ヴィーガンは日本語で言うと、完全菜食主義と表現され、

あたかもベジタリアン of ベジタリアンな印象がありますが、実はさらに厳格?なベジタリアンがいます。

それは『フルータリアン』と呼ばれる方達で、果物をはじめ、果実しか食べない人で、それを食べたとしてもその植物体自身が死ぬことが無い部分しか食べない人のことを差します。

『命を大事に』の極致ともいえる食生活をしている方ですね。

 

小ネタはこれくらいにして、僕の話に戻りますが、じゃぁ『ペスキタリアン』ってどんな食生活をする人なの?というと、

『赤肉を食べない人』です。

魚・乳製品・卵は食べますが、肉は食べない人、ですね。

 

今は厳格にぺスキタリアン生活をしていませんが、僕一人で食事をとる時は今でもその食生活を続けています。

例外として他人と食事をする際に、選択肢が他になければ肉も食べるようになりました。

例えば、他の方のご自宅で食事を頂く時や、外食でもメニューに肉を使ったメニューしかない場合やコース料理で出てくる時等、ですね。

上に27~29までぺスキタリアンだった、と書いたと思いますが、その間は他者との食事の場合でも絶対に肉は食べませんでしたし、肉を使った料理しかないことが分かっているお店には絶対に行きませんでした。

無駄に?厳格に守っていたので、例えば調味料としても鶏ガラや、コンソメ、ブイヨン、ポークエキスやビーフエキス等が入っているような物も食べませんでした。

そもそも当時は仕事が忙しかったのもありますし、そうそう誰かと食事をすることもほとんどありませんでしたが、どうしても付き合いで人と食事をする時でもそれを相手に伝えていたので、相手からすると非常に面倒臭い人間だっただろうなぁ、と今思えば申し訳なさも若干感じたりしているのですが...

それもあって、今は自分の主義の為に他者に気を遣わせたり、迷惑をかけたくないということで、他者と食事をする時は肉も食べますし、そもそも人に普段の食事で肉を食べないということ自体言わないようにしています。

 

さて、前話が長くなってしまいましたが、

当時『肉を食べない』という話をすると、『肉嫌いなんですか?』とよく聞かれましたが、僕は今でもそうですが、肉か野菜か、なら肉を食べた時の方が美味しいと感じます。

子供の頃はほぼ肉しか食べませんでしたし、ペスキタリアンになる直前まで肉を中心の食生活でした。

と、なると『なんかの宗教か?』と思うかもしれませんが、それも違います。

以前の記事で『好き、嫌い、それって本当?』という記事の中で僕の好きな物が3つある、と書きましたがそのうちの一つは『動物』です。

 

ここまで言えばわかりますね?

 

『動物を殺すのがかわいそうだから食べなくなったんだ』

 

実はそれも違います。

その前振りしておいて違うんかい!

 

という一人突っ込みはさておき、

本当の理由は『動物を自分の手で殺してまで食べたいと思わない』というのが正解です。

 

きっと、

 

『ん?動物を殺すのがかわいそうと何が違うんだ・・・?』

 

と思いますよね。

僕はたまにニュースになるようなヴィーガンの方とは違い、畜産・食肉文化の否定は一切していません。

ただ、自分が食べる為に牛や豚、鳥を自分の手で殺せるのか?と自問をした時に、

『それは無理だな。』と思い、そこには『殺すのがかわいそう』という感情は確かにあります。

ただ、現代社会では別に自分で殺して精肉をしなくても、スーパーに行けばお肉は簡単に手に入り、それを食べることが出来ます。

 

僕が食べることをやめたのは、

 

『自分が感情的な理由で出来ない仕事のサービスを受けることは嫌だ』

 

という想いが沸いたからです。

能力的に出来ない仕事は沢山あります。

でも、感情的に出来ない仕事は多くはありません。

その感情的に出来ない仕事を他の人にやらせて、自分はただそのサービスを受けるだけ、ということを職業倫理的に受け入れたくなかったんですね。

なので、魚は自分で〆て捌くことも出来るし、卵も自分で割って食べることが出来たのでそれは食べてもいいな、ということで肉を食べないぺスキタリアンが誕生したんですね。

(最終的に親鶏がどうなるとか、そういうことは話の趣旨から逸れるので置いておいて下さいね。)

 

実はこの話、先ほど出した以前の記事『好き、嫌い、それって本当?』の最後の締めで要約をすると、『自分の人生を歩むために常識や文化を疑う。』ということを書いたのですが、

僕にとってそのうちの大きな変化の1つがこの食生活の変更でした。

今まで何も考えずに食べていた肉を食べることが、自分にとって当たり前なのかどうか、自分はそれに対してどう感じるのか、ということを考え、結果的にペスキタリアンになるということをしました。

 

この2年後、食生活の変化、ということにおいてはペスキタリアンになったような理由とは全く別の理由でさらに自分を締め上げ、

修行僧も裸足で逃げ出すのでは?というくらい徹底的な『粗食生活』を始めるのですが、それはまた別のお話ということで。