lifepsychology’s diary

30代のおっさんが生きていく中で感じていることをただ書く

サッポロポテトつぶつぶベジタブルから考える、人間の認識力のお話

タイトル、なんだこれ(笑)

 

訳わかりませんね、ごめんなさい。

 

でもこれ僕の中学生の頃の実話なんです。

当時の僕はお菓子が大好きで毎日ぼりぼりお菓子を食べていて、

ある日タイトルにある『サッポロポテトつぶつぶベジタブル』のレギュラーサイズ(?)を食べていたんですね。

皆さんも食べたことあると思いますが、あれ結構な本数が入っているんですよね。

その時になぜそんなことをふと思ったのかは今でも全くもっての謎なんですが、

 

『袋の中身が減るのに気が付けるのはいつからだろう?』

 

と思ったんです。

 

袋を開け、1本食べても違いを認識できません。

2本、3本食べてもやっぱり違いが認識できません。

でも、どこかのタイミングで明らかに最初袋を開けた時よりも『減ったな』と認識できるようになります。

 

でも、そこを起点にもう1本食べてみてもやっぱり減ったかどうかは分かりません。

当時の中学生だった僕は、ぼりぼりと食べながら悩みに悩みました。

 

1本食べれば実際には間違いなく1本分減っています。

でも、1本減ったでしょ?って言われたってそんな違い分からないのです。

でも何本かはさておき、20本も無くなれば明らかに減ったことが分かります。

 

『どのタイミングで減ったのが認識できるようになるんだ?』

 

答えは出ないまま袋は空っぽに。

 

『うーーーん。まぁいいや。』

 

そこまで考え込むような大事なことでもなかったので、食べ終わればもう気にならなくなりました。

 

しかし・・・その後どれくらい期間が空いたのかは全く覚えていませんが、

また安売りしていたんでしょう。

あるんですよ、『サッポロポテトつぶつぶベジタブル』が。

 

以前そんなことを考えていたことはすっかり忘れていましたが、

袋を開け、食べ始めてしばらくすると、思い出して、また気になるんですね。

 

でも結局分からずじまいで食べ終わります。

 

3回目か、4回目か覚えていませんが、そこまでくると食べ始める前に気になっていたことを思い出して、袋を開けた瞬間からしっかり意識して入っている量を見ていました。

 

1本食べます。

うーーん、やっぱり分からん。

2本目を食べます

(以後繰り返し)

 

当時の僕は何を思ってそんな風に考えたのか、

これだけ何回も意識して気にしながら食べても違いが分からないのであれば、

 

『最初から5本か10本程度減らして売ったって気づかれないし利益になるんじゃないの?仮に2~3本だけ減らしたとしてもこれだけの販売量(実際何袋消費されているかなんて知らない)があれば、結構な差になるんじゃ…』

 

とか、思っていました。

今思えば、浅はかだなーと思いますが(笑)

 

そんなうちに歳もとればそんなことは考えなくなったいったんですが、

サービス業について仕事についてよく考えるようになった時に、まさかこの昔話を思い出して一つの結論に達するとは思ってもいませんでした。

 

サービス業というのは店舗の清掃は非常に大事なんですね。

僕がいた店舗は社員は僕一人だけで店長という立場で勤めていて、残りは総在席数30人程度のアルバイトさんがいました。

アルバイトさんたちに清掃の指導をする中で、やり方は教えるのですが、どうしてもみんな楽をしたがるし、手を抜いてもばれんやろの精神で『いついつはここを掃除しましょう』という店舗内のルールも僕の目が無いときはそれを実施しなかったり、非常に手抜き仕事になっていたりしました。

 

でも人間穴を掘って埋め戻すような、その物事に価値を感じないようなことってやる気が出なくて当たり前なんですよね。

汚れてもいないところを掃除したってなんの意味があるの?って思っても当然と言えば当然なんです。

僕自身、まだ店長になって1年目の頃で店舗管理に対する考え方も定まっていない頃、ということもあって汚れてもいない場所を一生懸命掃除しろと言われても正直それほどやる気は出ませんでした。

 

でも、だからと言って掃除をしなければ気が付くと『汚れているな』と思ったり、

手も空いてるし掃除でもするかー、と何気なく磨いてみると『えっ!こんなに汚れていたの!?』と思うことがあったんですね。

 

その時に、ふと思い出したんです、そう。

 

『サッポロポテトつぶつb(くどい)』を。

 

中学生の頃はなんか訳の分からない減らせば儲かるんじゃね?みたいな浅はかな考えにしか至れませんでしたが、その時は

 

『人間の認識できる程度はたかがしれている』

 

ということに気が付いたんです。

これは勿論個人差や、見る目が洗練されているかどうか、ということもありますが、

基本的にはたかがしれているんですね。

 

その時に仕事において僕の中での掃除をすることの本質は

 

『汚れている所を綺麗にすること』ではなく、『汚れないように綺麗な状態を保つこと

 

に変化しました。

まぁ、アルバイトスタッフさんにそれを理解してもらうことは当時の僕の指導力では無理だったんですけど…。

今は僕は農業という全く別の仕事をしていますが、今でも日々の植物の変化でもそうですし、日常生活の様々なことや、自分や他者に対してもそうですが、毎日、毎時、毎分、毎秒、物事は変化しているから、大事なことは特に

 

『よくよく意識していないと徐々に変わっていく変化にいつまでたっても気が付かないぞ。』

 

ということは肝に銘じて生きていたりします。

 

ちなみに似たようなことが昔から哲学の世界では取り上げられているらしく、

 

『砂山のパラドックス

 

という命題があります。

 

これは砂山の砂を1粒ずつ取り除いていったときに、どこまでが砂山でどこからが砂山ではなくなるのか、ということを考える命題です。

 

哲学者のような方が昔から考えているようなことを想起させてくれる

『サッポr()』は凄いなぁ!ただのお菓子とあなどれませんね。

皆さんも是非一度食べながら自分の認識力の限界を推し量ってみてはいかがでしょうか?(そんなことしないで普通に食べたいか。)