lifepsychology’s diary

30代のおっさんが生きていく中で感じていることをただ書く

期待という名の願望

人は自分や他人に対して『期待』を持つことがあります。

 

職場で言えば上司が部下に対して期待をする、とか。

家庭なら伴侶や子どもに対して期待をする、とか。

自分はこれくらいは出来るだろう、という自分に対しての期待もありますよね。

 

自分や他人に対して『期待をする』ということは決して悪いことではないと思います。

 

『私はあなたに何も期待していませんよ。』

 

なんて言われたら、その人との関係にはよるとは思いますが、悲しさや寂しさを感じるのではないでしょうか。

 

ただ、『期待』と『願望』の境界をしっかり意識して引いておかないと、往々にして不幸を招くと思っています。

 

以前の職場(サービス業)では店長同士の会話で度々アルバイトスタッフさんに対して、

『信用していたのに、期待して手をかけたのに、良くしてあげたのに裏切られた』

というような会話が出ることがありました。

 

その人との関係性はさておき、皆さんもこんな感情を持ったことが人生の中で1度や2度はあるのではないでしょうか。

信用していたり、期待をしていた人に裏切られると凄く悲しい気持ちになりますよね。

 

でもこの『期待』という感情を深く探ってみると、

『自分にとって都合の良い願望』が入り混じっていないでしょうか?

 

その人のことを深く知りもしないで、自分から見えている、知っている部分だけを評価し、また酷い場合では相手のことなんかお構い無しに

 

『こうあって欲しい』

 

という自分の願望の押し付けのことを『期待』と言い換えて聞こえの良いように言って、また自分の中でそう思い込んでいないでしょうか。

 

人間は必ず良い面、悪い面があり、時には自分自身に対してですら仮面をつけて、良い部分を見たがり、見せたがる生き物です。

 

自分の知らない、または見て見ぬふりをしている悪い部分や劣っている部分、

これらも含めて自分であり、他人であります。

 

『期待』は掛け捨てです。

期待をもって、相手に接することは悪いことではないかもしれませんが、

その通りにならないからと言って『裏切られた』というのは相手からしてみれば押し付けがましい以外の何物でもなく、自分自身も嫌な想いをするだけ損です。

 

期待をするのであれば、『ありのままを受け止める覚悟』が必要で、

『自分にとって都合の良い期待』のことは『期待』ではなく、『願望』です。

 

そう思って接していれば『裏切られた』と感じることなく、自身や他者と前向きに付き合っていくことが出来るのではないでしょうか。

 

自分も完璧じゃないですし、他人だって完璧じゃありません。

自分にとって当たり前なことも他人にとっては当たり前じゃないこともあり、

逆に他人にとって当たり前のことでも、自分にとっては当たり前じゃないことがあります。

基本的には良い人でも、時と場合によっては悪い人に感じることもあります。

本人にとってはどうしようもない状況や心身が過度に追い詰められたりした状態では、

普段と違う振る舞いをしてしまうこともあります。

 

だから、『願望』を押し付けることなく、正しく『期待』をしましょう。

『期待』とは、悪い部分も受け止め、それを共に改善し、成長していくことだと僕は思っています。