精神的な満足の為には欲の本質を探る
何かの瞬間瞬間ではなく、自分の人生(生活)を通して満たされている(満足している)と感じたり、幸せだと感じる人と、そうではない人の違いはどこにあるのか、僕の感じている違いの1つを書いてみます。
もちろん、様々な要因がありその人の人生に対しての感情は決まっていると思うので、何かこれ1つで、というようなものがあるとは思えませんが、自分でコントロール出来ることの1つに以下のことが挙げられると思います。
欲求の本質を正しく理解すること
どういうことか。
ここで1つ質問です。
・『幸せになりたい』という生物的な欲求があると思いますか?
僕は『ない』と思っています。
他にも例えば、『遊びたい(楽しい時間を過ごしたい)』『格好良く、可愛く(綺麗に)なりたい』等、これらの欲求も存在しないと思っています。
厳密に言うと、これらは『本質的な欲求を満たす為に、頭で考えて作り出した欲求である』と思っています。
例えばマズローの五段階欲求では、大まかに下記の5つの欲求に分類されております。
・生理的欲求
・安全欲求
・社会的欲求
・承認欲求
・自己実現欲求
他にもブッダが唱えた欲求では下記の7つを挙げています。
・生存欲
・睡眠欲
・食欲
・性欲、
・怠惰欲、
・歓楽欲
・承認欲
人間の欲求が全て明確な形で解明されている訳ではないので、必ずしもどうこう、ということは言えませんが、例えば先ほどの例で言えば、
楽しみたい、という欲求はマズローで言えば主に社会的欲求に含まれていると予想出来ますし、ブッダの教えで言えば、歓楽欲に当てはまるでしょう。
『格好良く、可愛く(綺麗に)なりたい』という欲求は承認欲求が発端でしょう。
中には、『いや、自己満足の為だから』という人もいるかもしれませんが、
その場合は自己実現欲求に入るかもしれませんし、自分ではそう思っているだけで深層心理では承認欲求があったりするかもしれません。
例えば、今日は家から出る予定もなく家に自分一人しかいない、誰とも合う予定もない時ですらオシャレに決め込む人がいれば、それは確かに自己満足だと思います。
ですが、外に出る時しかオシャレにしないというのであれば承認欲求が隠れていることが想像できます。
上記のように、普段感じている『○○したい、○○になりたい』というような欲求は、そのこと自体が本質的な欲求な訳ではなく、それをすることによって、何か本質的な欲求を満たそうとしているのですね。
それを理解していないまま、自分の考える欲求を満たしたとしても、その時々や瞬間瞬間では満足をしたとしても、どこか満ち足りていないと感じたり、思ったほどの満足感が得られなかったりということに繋がってしまいます。
例えば思い切ってイメチェンしたりして自分では満足のいく仕上がりになったとして、
会った人から誰もそれについて言及されなかったり、ましてや否定的な意見を言われれば満足感は恐らく得られないですよね。
これは『○○になりたい』という表面上の自己の欲求が叶ったと感じたとしても、
誰かから褒めてもらいたい、認めてもらいたいという『承認欲求』は満たされないので、せっかく望んだ自分になれたのになんか満たされないな…となってしまう訳ですね。
生きていて、『幸せになりたいなぁ』とか、『なんか満たされないなぁ』と思うときは、自分がよく感じる欲求は何なのか、それは本質的にはどんな欲求なのかを考え、
その欲求が本当に自分の人生にとって有意義な物であるのかどうかを考えることが大切だと思います。
上に書いたマズローやブッダの挙げた欲求というのは、ほとんどの人が当たり前に持っている欲求ですが、ありのままに感じ続け、欲し続けていても中々それらが満たされ続けることは難しいのが実際です。
であれば、この欲求は自分にとって凄く大切な欲求だと思えるものを実現可能そうな範囲で何個か選び、これらが満たされていれば満足である。というラインを自分で決めて価値観を作っていくことが必要です。
欲を知り、欲の取捨選択をすることで日々の生活の中で無駄な欲や方向違いな努力や頑張りを減らすことができ、結果的に自身が大切にしている欲を満たすことに時間や労力を注ぐことができるようになります。
そうすれば、必然的にその人の人生は満足度が高い物になっていくのではないでしょうか。
時に見たくない自身の裏側を見ることもありますが、普段の生活の中で何か物足り無さを感じている時や幸福感を感じられないときには普段『○○したい』と思っている欲求の裏側に隠れている本当の欲求は何だろう?と考えてみると、自分が本当は何をしたいのかが見えてくるかもしれません。