lifepsychology’s diary

30代のおっさんが生きていく中で感じていることをただ書く

スキゾイドという人間が出来るまで

スキゾイド(シゾイド)』という言葉を聞いたことがあるでしょうか。

パーソナリティ障害の一種で、人との関わりをあまり求めていない人を差します。

 

そも、パーソナリティ障害とは、昔は人格障害と呼ばれており、その人の性格や考え方の著しい偏りにより、本人や他者に苦痛を与えたり、日常生活に支障を起こすようなパーソナリティ(人間性・人格)の総称のことで下記の分類に分けられています。

 

・境界性

・自己愛性

・反社会性

・回避性

・演技性

・猜疑性(妄想性)

・統合失調型

スキゾイド(シゾイド)

 

上記のどれかに当てはまるかどうかは診断米国精神医学会の診断基準になっている、「DSM-5」という診断・統計マニュアルで診断をすることが出来ます。

 

最初に書いた通り、僕はスキゾイドパーソナリティ障害というものに当てはまっており、本心から人付き合いを望むことがほぼありません。

しかし本心はどうであれ、社会で生きていく上で最低限必要なコミュニケーションスキルや、必要な関わりは普通に持つことが出来ます。

ただ、深く心を通じ合わせたり、生きていく上で必要でもないのに誰かと交流を持ちたいとは思いませんし、そういうプライベート色の強い関わりを長く安定して続けていくようなコミュニケーション能力は持っていません。

ですので、『友達』という付き合いは中学生以降したことがありませんし、今でも友達はいません。

ですが、それを『寂しい』と思ったり、『友達が欲しい』と思うこともありません。

ただ、ここらの感覚や考え方は同じスキゾイドの方でも人により個人差があるのではと思っています。

 

僕がなぜ、いつからスキゾイドになったのかと自問をしてみると、生まれつきではなく、後天的に形成された性質だと思っています。

なぜなら中学生までは友達付き合いがあった(つまり友達を欲していた)からです。

しかし、中学になってから新しい友達が出来たことはなく、小学校の頃仲が良かった友達と付き合いがあった程度ではあり、その頃にはスキゾイド質が徐々に芽生えていたことが伺えます。

思うに、元々HSP(ハイリーセンシティブパーソン)の性質(詳しく書くと長くなり過ぎるので端折ります)を先天的に持っていた所に小学生の中高学年頃から親同士の仲が非常に悪くなり、特に母親からは毎日それこそ呪詛のように父親に対する悪口を聞かされたのがトリガーとなってスキゾイドが徐々に形成されたのだと考えています。

 

小学生の頃と言えば、一般的には一番信頼・安心できる人間は親であることが多いと思いますが、その頃に一方の親から一方の親の悪口をずっと聞かされたことにより両親に対する信頼や安心感が壊されたことにより、人間不信に陥り、最終的に自身の心を安定させる為にそもそも人間関係を欲しないようにスキゾイド質が形成された、という流れだろうと考えています。

 

今はスキゾイドとの付き合い方もずいぶんと慣れてきて、勿論様々な考え方の矯正や価値観の作り替えを継続し続けた結果ではありますが、徐々に克服しつつある気がします。